新たな空力理論に挑んだ一台【1968 MACKEE Mk-10】
1968 MACKEE Mk-10
AMERICAN RACECAR FILE
1968 MACKEE Mk-10
ウェッジシェイプは先進
1965年にプリマスワークスとしてデビューするチャンスに恵まれながら、諸般の事情でSCCAUSRRCへの参戦がお蔵入りとなったマッキーにとって、1966年から1967年に掛けては実績を作る場でもあった。そして1968年、マッキーの有力なエントラントだったとあるチームが、極めて先進的だったボディをまとったレースカーをCANーAMに投入してきたのだった。
小さなコンストラクター意地の意欲的マシン
1965年に革新的なビッグブロックエンジン搭載のグループ7(量産台数規定なしのレーシングスポーツカー)レースカーであるマッキー・マーク5(MkーV)を完成させた、ボブ・マッキー率いるイリノイ州パラタインのマッキー・エンジニアリングは、マーク5のオーダー主だったペティ・エンタープライズとクライスラーの戦略変更によってマーク5の運用がマイナーな舞台とならざるを得なかった。
この問題を踏まえ、翌1966年シーズンには新たなグループ7レースカーであるマッキー・マーク6(MkーVI)をSCCA USRRC(ユナイテッドステーツ・ロードレース・チャンピオンシップ)、及びこの年からスタートすることとなったSCCACAN-AM(カナディアン・アメリカン・チャレンジ)用にリリースすることとなった。
マッキー・マーク6は、マーク5で完成させたクロームモリブデン鋼管を使ったマルチチューブラースペースフレームを採用したミドシップレースカーであり、マッキーとしては作り慣れた手堅い設計だったのが特徴である。その一方で使用エンジンがプリマスの426ヘミが指定されていたマークVに対して、想定された多くのユーザーのリクエストに応えることができる様、マーク6では1966年当時のアメリカにおいて、レースエンジンとして多用されていたシボレースモールブロックV型8気筒、もしくはビュイック/オールズモビルのオールアルミV型8気筒の搭載、そしてヒューランドトランスミッションの使用を想定した設計となっていた。すなわち、何よりも汎用性を重視していたということである。
このことは使用していたパーツの多くがシボレー・コルベットやシェベルのものを流用することで運用コストを抑えることを目指していたことにも良く現れていた。特にハブキャリアやブレーキ周りは量産車に対して車重が半分以下のレースカーに使う場合、性能的に十分な余裕を確保できたことも量産部品をできるだけ活用した理由である。ちなみに1966年当時、SCCA CANーAMの参加車は技術的に先行していたシャパラルを除くと、翌年に革新的なニューマシンを投入することとなるマクラーレンも未だマルチチューブラースペースフレームであり、ジーニーその他のマイナーなコンストラクターの作を見渡しても、マッキーのデザインは十分に戦闘力があるものと判断されたことは言うまでもない。
こうしてマッキー・マーク6はとりあえず2台が生産され、まずはUSRRCでの参戦が開始されることとなる。ボディ周りはマーク5に対してより曲面を多く取り入れたデザインが採用されたが、これは数年前にアメリカに輸入されていたロータス30/40を思わせるものだった。このボディのマテリアルはアルミ合金であり、FRPを採用しなかったのはマッキー自体がアルミ合金の取り扱いに慣れていたことが理由である。
記憶に残る強烈な個性と共に6戦を戦ったマイナーモデル
マッキー・マーク6は1966年と1967年の2シーズンに渡って、プライベートエントラントの手でUSRRCとCANーAMを戦った。1967年に追加で生産された数台はさらなる軽量化が要求されたことからボディ素材は極めて薄いFRPとなったが、ボディの外観デザインに大きな変化は無かった。さらにメカニズム的にもマーク6と大差無かったものの、新たにマーク7の名称が与えられた。
前置きが長くなってしまった。今回紹介するのは1968年シーズンにSCCA CANーAMを戦ったマッキー・マーク10である。ただしマッキーの完全な新型というわけではなく、マーク7の2号車をベースにボディ周りを一新、新時代を見据えたウェッジシェイプボディをマウントしていたという一種の空力モディファイドモデルだった。
このレースカーをプロデュースしたのは、1967年からUSRRCとCANーAMにおいてドライバーのチャーリー・ヘイズと共にマッキー・マーク7を運用していたカリフォルニアのラルフ・セイヤー・レーシングである。このチームはCANーAMがスタートする以前から、SCCAモディファイド及びスポーツレーシングカテゴリーを戦っていた西海岸を代表する名門でもあった。その当時は共に代表を務めていたジーン・クロウと、ラルフ・セイヤーの姓を略したCroーSalと呼ばれており、初期のレースカーはマクラーレン・エルヴァM1Aやビル・トーマスがシェルビー・コブラに対抗するために製作したチータなどが使われていた。ここは同じく西海岸を代表するレースエンジンビルダーだったトラコ・エンジニアリングとの関係も深く、トラコチューンのオールズモビル215をレースエンジンに採用した初期のチームでもあった。
一方、CANーAMがスタートする以前のUSRRCでは、既述した通り純アメリカンメイドの有力なレースカーはテキサスのジム・ホール率いるシャパラルのみという状況であり、エンジンこそアメリカンメイドだったもののシャシーはイギリス製というマクラーレン・エルヴァやローラの存在感が極めて大きくなりつつあったことは否めなかった。すなわち純アメリカンを重視するレーシングチームにとって、シャシーコンストラクターの体制強化は必須だったのである。
そんな状況の中、名門レーシングチームだったCroーSalにとって、マッキーの存在は純アメリカンメイドという意味でも、USRRCやCANーAMにおいて、同じく純アメリカンだったシャパラルはもとより、マクラーレンやローラに対抗する上での有力な武器であるとの判断が採用の理由だったのかもしれない。ともかくセイヤーのマッキーは、1967年シーズンにはコンスタントに中段に食い込む走りを見せ、隙あらば上位をうかがえるポジションの常連でもあったのである。
マッキー・マーク10は1968年8月のミドオハイオUSRRC最終戦でデビューした。ドライバーはチャーリー・ヘイズである。エンジンはこの年にオールズモビルが投入した新型の350ciをベースに排気量を389に拡大したものが用意された。このエンジンをビルドアップしたのは、エンジンチューナーとしてラルフ・セイヤー・レーシングから独立していたCroーSalであり、全くの新型エンジンなのにも拘わらず長年の経験を元に、シボレー・スモールブロック・ベースのレースエンジンのスペックに近い500hpオーバーの最高出力を安定して発揮することができた。その他のメカニカルコンポーネンツはマッキー・マーク7のリファインに止められており、チューブラー・スペースフレーム自体は強化されボディの更新に伴ってカウルマウント部周辺などに手は加えられていたものの、サスペンションアーム類やスタビライザーなどは互換性が確保されていた。
1968年度SCCA CANーAM開幕戦だった9月1日のロードアメリカ(この年までシーズン前半はUSRRC、後半がCANーAMというスケジュールでありエントラントは一部で共通だったがどちらかしか参加しないチームも多かった)でCANーAMデビューを飾った。そして総合7位でレースを終えた。
上位はワークスマクラーレン2台、ペンスキー、シェルビー、シャパラル、モッチェンバッヒャーという上位の常連であり、満足できる結果だったと言って良いだろう。 第2戦のブリッジハンプトンは欠場。第3戦エドモントンはワークスマクラーレン2台、ペンスキー、オートダイナミクス、カール・ハースに続いてここでも7位に入った。既に熟成していたレースカーがベースだったとはいえ、安定した成績を記録できたのは見事だったと言って良いだろう。第4戦のラグナセカは、セイヤー・レーシングにとって地元とも言えるラグナセカだったが、プラクティス中にフューエルインジェクションのトラブルを起こし決勝は出走できず。同じく西海岸での一戦だった続くリバーサイドでは決勝の序盤戦で燃料関係トラブル(ベーパーロックだったと言われている)を起こしリタイアを余儀なくされた。
1968年度のSCCA CANーAMの最終戦だったラスベガス、ここでもマッキー・マーク10はクオリファイ中のエンジンブローで決勝スタートは適わず、シーズンを終えることとなった。シーズン序盤こそ一桁入賞を記録するなど信頼性の高さを見せたものの、後半は、ほぼトラブルに悩まされたシーズンだった。 なおセイヤー・レーシングのマッキー・マーク10が最後にCANーAMの場に姿を見せたのは、翌1969年の開幕戦だったモスポートである。エンジンをツインターボに強化したマーク10はジョー・レオナードの手に託されエントリーしたものの、プラクティス中にエンジンを壊し、そこから先に進むことはできなかった。短い間にキラリと輝いたレースカーだった。
これはマーク10の前身であり構造的なベースとなったマーク7である。シャシーはほぼ共通だったが丸みを帯びたボディカウルが特徴な一台だった。
エンジンは、1968年型から投入されたオールズモビルの新型350をベースに排気量を389に拡大したいわゆるストローカーであり、CAN-AMの中ではほとんど見ることができなかったオールズモビルエンジンだった。ビルドアップ/チューニングはCro-Sal。最後の仕様はツインターボ化されており、その点でも先進技術に意欲的だったチームである。Cro-Salは同年には455ベースのツインターボも完成させている。
コクピット内部にはマルチチューブラースペースフレームであることがよくわかるディテールが垣間見える。ボディ素材は前年までのFRPから再び薄板のアルミ合金へと戻っていた。上の写真でシートの上に見えるX字型の物体はリアカウルを開けた時に支えて置くためのステーであり便宜上ここに置かれてるだけである。
リアカウルの後端には、シンプルな形状のアルミ製スポイラーがセットされている。ウェッジシェイプのボディとの組み合わせが興味深い。
ポール・ニューマンのネーミングはこのクルマの前身であるボディ換装前のマーク7 時代、ニューマン主演のレース映画にニューマンと共に登場したことが理由である。
マーク7までのフロントの内部はもっとシンプルな形状だったが、マーク10ではスペースフレームをカバーするラジエターダクトやアンダーカウルがセットされていた。
Machine specs
Engine オールズモビル 350cu:in V型8気筒OHV 改389cu:in CroーSal チューン ルーカスメカニカルフューエルインジェクション ドライサンプ 最高出力500hp Transmission ヒューランドLG300 4 速マニュアル ドグクラッチ Brake 4輪ベンチレーテッドディスク ACデルコ4ポッドキャリパー Suspension フロント アッパー/ロワーアーム パラレルウィッシュボーン+ラジアスロッド コイルオーバーショック スタビライザー リア アッパー/ロワーアームパラレルウィッシュボーン+ラジアスロッド コイルオーバーショック スタビライザー Chassis クロームモリブデン鋼管マルチチューブラースペースフレーム Body アルミ合金スキン Car weight 不明
TEXT&PHOTO ●Akinori Yabuki
http://profile.ameba.jp/akiyabuki
アメ車マガジン 2020年 9月号掲載
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